魅力的な男の子の減少


 まさか続きのリクエストがあるとは思わなかったんだけど、意外と来てしまったので、すぐに第二回をやるという…。しかし、あたしも好きだね。続けろボタンを押してくれたReiko Katoさん、中島 保登さん、yukatinさん、takashi suzukiさん、Toshihiro Chibaさん、ありがとう。一個でも来たらやろうと思っていたのでやります。やめろボタンだったらって?怖いこと聞かないでよ。今回は男の子はこの非常時に一体何をしているのかって辺りについて。
 等の減少が目立ちはじめたのは「たのきんトリオ」や「シブガキ隊」の辺りからだ。それ以前は一人でも十分にやっていける男性アイドルというのがいて、彼等は「御三家」などと呼ばれはしたが、それはグループとして出てきたからではなく、あくまでも同じ時期に人気を三分したからだった。

 分あの頃の郷ひろみ辺りが一人で舞台に立てるアイドルの最後だった。彼等の影響力はいまだにものすごくて、彼等の新曲が出ると、今でも中ヒットぐらいにはなるし、雑誌の取材もちゃんと来る。「プロダクションの力だよ。」なんて言う向きもあるが、プロダクションが金にならないことをするわけがない。彼等は金になるだけの魅力を今も保ち続けているというわけだ。

 いアイドルがこのような影響力をもつ時代には、そこらのおじさんが若い女の子を自由にすることは少々の金では無理な話しだった。さらには大金を積んでもかなり難しかった。なぜかといえば、若さがその情けなさや頼りなさと同時に、何物にも替え難い輝きを持ち合わせていたからだ。現実的な実力のなさ、金のなさ、余裕のなさを超えて、そこにある未来への可能性を多少なりとも信じることが出来た時代だったのだ。

 はどうだ?未来への可能性なんてものは偏差値学歴で計るものだと思っている奴等のなんと多いことだろう?そんなあてにならないものを信じ込んで子供を競争の世界へと駆り立てていく母親達。落ちこぼれるととたんに戦意を喪失して子供を信じるという基本的な事すら忘れてしまう。そういった態度が若者から生き抜く強さを奪い去っていく。

 さのもつ輝きとは訳の分からない自信、根拠のない自信、それ一つを抱えて立ち向かっていく勇気だ。時に無謀に見えることもある、しかし、何者かに立ち向かっていく姿勢なくして何を掴めるというのか。自分を通せるか、通せないか、自分の想いが正しいか、正しくないかを自分の体験で掴むことが大切だ、その為に与えられた特性が若さというものなのだ。偏差値なんてみんなでそろって0点を取れば、意味のないものだ。学歴如きで本気の人間を枷にはめることなどできない。そんなみみっちい、か弱いものにすがるような生き方に輝きなどない。

 じゃあかつての若いアイドルにはそういう気概があったのかというと、あった。あの頃は芸能界も随分厳しかったという。実際思い返してみれば、今以上に熾烈な争いがあった。そのなかで彼等は生き抜いてきたのだから、それはそのまま揺るぎのない自信になる。そうして積み上げてきた手応えが、今だに彼等を輝かせているのだ。今の芸能界は偏差値主義にやはり冒されていて、みんなで平均点のちょっと上を狙おうとしているものだから、飛び抜けて魅力的な奴なんているはずもない。シングルの売り上げなんかを競っているから、小室の名前ばかりが売れて、自分の名前は残らない。

 いかげん、こんなのはやめようぜ、こんなことをやっているから女の子をオヤジ共にもっていかれるんだ。

「金なんかに替えられないセックスがあるんだぜ!」

って真顔で言えるかい?言えるようになるには何が必要なのか分かるかい?少女売春って問題が出てきて、若い男なら

「くやしいぜ!」

そういう言葉が口をついて出なきゃウソだろう?自分がお金如きに負けちまってるなんて理不尽じゃないか。おいおい、そこで慌てて金を稼いだり、カツアゲなんてやってるんじゃないぜ。

 なんてなくても、もてるようじゃなくちゃだめだってことさ。それが若い男がちゃんと男になるということだ。男にならないでつまらない大人になる奴が多すぎるゼ。そうは言ってもまだ燃えてこないだろう?

「金で体を売るような女なんて相手にしなくったっていい。」

なんてうそぶきたくなるだろう?そういう奴にはもっととっておきの話しをしてやるゼ。それは

金のない不良オヤジ

の事だ。で、次回。


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