不良オヤジに学べ


今回は少々間を置きました、というのは引っ越しも忙しかったんだけど、自分自身、考えを整理しておかないと話しがどこへいってしまうか分からなくなってしまいそうだったので、本筋を追って読み直したりしてみました。今回は前回よりもマシかな?ようやく結論が見えてきているんですけど、う〜んこりゃあ後3回ぐらいはかかりそうですね。
例によってReiko Katoさん、T.Yamadaさん、Nobuyuki Adachiさん、yukatinさん、Masayuki Sasakiさん、から励ましのボタンプッシュをいただきました。ありがとうございます。
 て、ここで不良オヤジの登場。ここで私がやろうとしているのは若いだけの男にとっての唯一の砦「若い」という事を、完膚なきまでに叩きつぶすことなんで、若いんだからなんてアグラをかいている男の子は読み飛ばさないように。

 年オヤジには何の魅力もないはずだと思っている馬鹿な若者が多いらしい。甘い。前回で若いということは男にとって何の意味もないということを説明したわけだけど、そこで、じゃあ”男にとって意味のあることってなんなのさ”って事を考えなきゃならないって事をここで書いてあげなきゃ分かってもらえないっていうのがもう若者の悲劇だってことが分からないと、もう救いようがない。(あ〜つかれた)

 力のかけらもない中年と、金のためだけに寝ている女の子がいるなんて、まさか思ってるんじゃないだろうね。よく考えてみろよ、気持ちの悪いオヤジがキスしてきたり、触ってきたりして、そういうのをお金だけで耐えられると思うか?職業になっている場合は別だけど、援助交際という形の場合、彼女達に職業意識なんてかけらもないんだぜ。だから気に入らないオジサンがやってきたら彼女達は素知らぬふりをする。

「援助交際募集してるわけじゃないわよ勘違いしないでよね、オジサン!」

ってね。

 女達はちゃんと選んでる。相手が好みのタイプだったりすると、

「悪いね、オジサンそんなにお金もってないんだ。」

とさわやか(?)に受け流すオジサン相手に

「いくら持ってんの?」

って感じで値引き交渉に入ったりする。(オジサン達、こういう場合チャンスです)お金が欲しいだけだったらそうそう値引きはしないでしょう。今は商品価値だってまだ高いうちなんだし。利害関係が成り立つところで関係というものは成り立っているわけで、ここでは彼女達が値引きをするだけの価値をそのオジサンに認めているということになるわけだ。で、交渉は成立して、事が済んだ後で、

「今日は得しちゃった、当たりだったな。」

と思って、ポケベルの番号渡してみたり。

「げぇっ、なによ、見かけ倒しじゃない!」

って赤字出して帰って行ったりするわけ。こういう交渉や駆け引きを就職する前からやってるんだから、こいつらの年代は女の子のほうがビジネス感覚に優れているかもしれない。

 、こういうことが起こっている間に若いだけの男はどうしているかというとただボーゼンとしているわけだ。だってそれしかないんだもん。がなくて実力がなくて経験がなくて実績がなくてテクニックがない男を相手にする馬鹿がどこにいる?ほーら、若いということがいかに役立たずな状態か分かって来たかな?若いだけの男には女の子を満足させるだけのものが何一つないんだよ。だ・か・ら・セックス一つ満足にできやしない。

 は少ないんだが不良オヤジが登場すると、ますます若いだけ男の出番はなくなってしまう。ここで、不良というのを誤解する奴がいるので簡単に説明したいんだが、面倒なのでこれだけ押さえてもらう。

若いだけの不良は馬鹿だけど、不良オヤジはカッコイイ。

メッキの不良と純金の不良の違いと言ってもいい。オヤジになってまで不良であることを選んでいるところにその違いがある。詳しいことはまたどこかで書くけど、不良オヤジには上記のオジサンの利点に加えて、「譲れないものがあることを知っている、しかし、下らないこだわりは限りなく少ない。」、という特徴がある。

 良オヤジは譲れない自分をもっている。これは自分の生き方に自信をもっているということで、会社に飼馴らされた家畜としての安定感ではなく、荒野に放り出されても生きていけるたくましい安心感をあたえることができる。下らないこだわりを持たないので、柔軟性に富んだ発想ができる。常識を超えた発想ができるので、今の不透明な社会状況のなかで、今までになかった方法論で生き残る道を見付け出す可能性が高い。女の子はこういうことを本能レベルで計算している。で、これに対して彼女達が使う言葉が

「カッコイイ!」

というものなのだ。こんなカッコイイ不良オヤジ相手なら、お金なんてなくったって付き合うんじゃないか?つまり、このカッコイイを獲得できるかどうかというのが、若い男達の課題ってわけ。

 良オヤジはどうやってこの特性を身につけたのだろう?自分の生き方に自信を持つためには、やはり単なる頭のなかの勉強ではなくて、自分自身の体験、経験から学ぶしかない。他に方法はないの?なんて聞かれても、それが生きていくって事だから、どうしようもない。それでも面倒だってんならセックスレスにでもなんでもなんなさい。

 しを元に戻して、不良オヤジ共が若い頃というのはがっちりと家族とか家庭とかいう牧場の柵があって、この柵を越えることはものすごく大変なことだった。何とかしてこの柵を越えたくて、挑んでいくんだけど、はねつけられてしまうということを繰り返すうちにだんだんをつけてくる。そして、遂にこれを越えることができる日がやってくるわけだ、「自分の力で飛び出したゾ!」てな感じで。実は自分で飛び出すんじゃなくて追い出されてしまっているというオチはついているんだけど。

 まり、若い男は一度家庭や家族から追い出されるというステップを踏むことになっていたというわけ。本人は自分で出ていったと思っているんだけど、後で振り返って見ると、もう窓の外に放り出されているようなもので、ここから男というのが始まったものなんです。こうなったらもう体験や経験の波状攻撃にさらされるわけで、それらを乗り越えることはそのまま自信にむすびつくに決まっている。それじゃあ今現在の状況というのはどうなっているかという比較をして見ると、ここで初めて現代の若い男が現状を打破する為になにが必要かということが見えてくる。

 分を放り出せる奴がいないんだから、自分で自分を放り出すしかないって事は、自分を放り出せるような自分を構築しなくちゃってことだ。どうしてそんなことが必要なのか、「柵を越えていく」とは言うけれど、柵なんてどこにあるんだ?そう、それが実は現代の若者の問題点でね、越えるべき壁、越えるべき柵が巧妙に隠され、柵に絡めとられたまま、一生気付くことがない。気付くためには柵を隠している巧妙な飼い主の正体を暴くことから始めなくちゃならない。ということで次回、やっと母親編に突入、いや、正確に言えば最後のあがきでのたうちまわる”家族”というものについて書くことになるかな?


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