第四回の前に


最近レスポンスは減っているのに、アクセス件数は増えている。ボタンを押してくれる人がめっきり少なくなっているんだなあ。ちょっと不思議。

 うとう第四回なんてことになってしまった。書き始めたときは第三回辺りで終了だと思っていたんだけど、そう簡単にはまとまらないね。で、第四回に入る前に、今までの話しのなかで肝心の少女達についてはあまり書いていないけれど、彼女達に落度はないのかって話しが出てきたんで書いておかなきゃならない。

 女達にも落度というのはある。それをそのまま節操もなく出しているので、彼女達の場合は分かりやすい。問題なのは息子達のほうで、彼等は比較的彼女達よりも目立たないというか、まるで去勢されているかのような状態だ。前回の話しの結びで自分で自分を放り出すという事に触れたわけだけど、少女達の行為はこれを実践しようとして、しかし貧困な発想ではこの程度の抵抗しかできないという性質のものだ。ところが、息子達(少年達ではない)貧困な発想以前の問題で、発想それ自体の意味をも認めないほどに去勢されている。というわけで、彼女達(娘達ではない)のレベル位には生命力をもってもらわないことには話しにならないということだ。

 ました顔で彼女達の行動を非難するだけのおばさん達、あなたたちの言葉で彼女達(娘達であることは放棄している)を変えることはできない。利用したつもりになっているおじさん達、確かに彼女達はあなた達に利用されているが、彼女達はそれを支払うことであなた達を利用している。全然優位には立っていない。あなた達は彼女達を支配などできない。気取ってうそぶいている息子達(少年であることから逃げている)最後には一体誰のせいにするつもりなのだ?自分を張れない君達に彼女達の行動を咎める資格はない。

 ういう構造のなかで、結局みんなが馬鹿にしている小娘に主導権を握られているのだから、こんな状態で主導権を握らざるを得ない少女達こそいい迷惑なのだ。そういうわけだから、べつに彼女達を弁護しているわけではない。大体この程度の反抗しかできないという自分達の発想の貧困さに対して、なんの対策もなく、ただ怠惰に状況を利用しようとする小賢しい態度には呆れているぐらいだ。だいたい私は小賢しい女は大嫌いなので、彼女達のやり方を認めない。ブスなおばさんと無責任なおじさんと馬鹿な少年は小賢しい女と同等のレベルなので、これもまた大嫌いだ。彼女達のやり方を認めないからといってそれが馬鹿な少年や無責任なおじさんやブスなおばさんを弁護することにはならない。その逆も同じことだ、だから、ゆめゆめ私が彼女達の理解者だとか擁護者だとか思わないように。私は賢い女とかわいいおばさんとやせがまんなオヤジとチャーミングな男が好きだし、自分もそうありたいと思っている。そういう生き方が素直にできる世界があったほうが私にとって都合がいいのだ。そんなわけでこういうページを書いているのだから、さっさと感化されてみんなで都合の良い世の中にしてくれ、そうすると俺は楽だ。以上。本遍に行ってくれ。


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