家出のススメ


今回は前にも増して長くなってしまった。色々と詰め込みすぎになりそうなんで苦労したんだけど結局詰め込んだという…。まあひとつ、おつきあいください。今回はyasuko okazakiさん、T.Yamadaさん、yukatinさん、 Hiro Yagiさん、Y.Miyamotoさん、からの励ましをいただきました。ありがとうございます。
 一発目から寺山修司みたいな事を言います。

「家出しなさい。」

寺田修二の頃よりも事態は深刻です。どういうふうに事態が深刻になっているかというと、健康な家族っていうのがほとんど絶滅しかけているという…。その最大の原因は母親にあるってこれは断言するけどさ。気味の悪い家族というのは母親一人が気味の悪い母親になっていれば、それだけで十分気味が悪いんだよ。父親だの兄弟だのが気味が悪いだけでは大したことにはならないけど、母親が変だともうダメ。誰がよくても母親がダメってだけで、全部が駄目になっていく。これが真実の姿。そういえば昔『母原病』って言葉がはやったよね、あの本は読んだことないけどさ、まあそういうことなんだよ。でも逆に言えば、母親さえしっかりしていればそれを軸にして家族というものが再生していったりもするんだけどね。

 りあえず、ここで私は「あきらめる」ということをおすすめする。なにをあきらめるのかというと、母親達。愚かな母親達は子供をおもちゃか何かと勘違いしているらしいので、『母原病』なんて本が出てきても変わるわけはない。現在息子をやっている奴とか、息子をいい加減やめてしまいたいけれどどうやったらいいのか分からない奴は、いつまでぐずぐずしていても、何もしてもらえなくて飼い殺しの目に遭うだけだから、あきらめてさっさと家出するってのが唯一の道だね。そうしないかぎり、いつまでも息子のままだ。

 子をやめただけで全てが片付くわけではないっていうのは、とっとと娘をやめてしまったところが、援助交際程度で怠惰に家族制度を利用したままという、女の子達を見ていればまあ分かることだけど、息子達はそれ以上に救いようがないので言わなきゃいけないね。

「早く息子をヤメロ。」

まずそこがスタート地点。息子をやめるということの必要性については漠然と感じているはずだから、それを感じている自分に根拠のない自信を持つだけでいい。あとはどうやって息子をやめるかってだけの事だろ。

 出をするしかないよ。深夜までうろつき回って不良になるってんじゃあ、昨今の父親共は勘当もしてくれないからね。対決してちゃんと息子を手放してくれるように親と議論できれば最上だけど、そんなに出来の良い親がいるんなら、世の中にこんなにあばずれやらマザコンがはやるわけはない。だから、もう家出するしかないの。もはや自分しか頼れる者はいないんだから。行く先を間違っている母親の先に君にとっての地獄があって、それなのにまだ母親の胸にしがみついているってんなら、君はその地獄の底でもがくだけのことさ。そこはまさに母親の愛憎地獄なんだから。

 とえ親といえども間違っていると思うなら対決しなくてはならない。正しいか正しくないかは後になってから分かること。今まで誰も歩いたことのない自分自身の人生を歩き始めようとするとき、君は戦わなくてはならない。戦って正しさを証明しなくちゃならない。正しい者は強くなくてはならないし、正しさを競うなかに真の戦いの意味がある。だから父親はやはり息子に容易に負けるわけにはいかないってあたりはお父さんも耳が痛いか?

 いを挑んだ時、初めて向かい合う親と子は対等の人間として向き合うことになる。だけどね〜、今の親がまともに向き合って息子達と戦うんだろうか?もう親達は自由主義の怠惰(自由主義それ自体が問題なのではない)に慣れ切ってしまっているから、そんな面倒な戦いに身を投じたりしないよね、やっぱり。

 んてことになりゃあ、向き合って戦うことを拒否している親の支配から逃れるには、そこから出ていくしかないワな。だいたいどいつもこいつも家族、家庭というものに対して緊張感が無さ過ぎるんだから困ったもんだ。こんな怠惰な連中の家族ごっこに付き合っていられるほど人生は長くはない。彼等は家族造りに関して完全に失敗していて、しかもそれを失敗と思ってもいないんだから無能だね。残念だけど、自分の親だっつっても無能なものは無能なんだ。それが自由主義と個人主義の風潮にのっかって家族というものを構築することを怠った親達にふさわしい言葉ってもんだ。だって自由主義と個人主義なんでしょ?家族制を否定することを良しとした上で、家族の構築を放棄した親に対して子供が無能と言ったって、それはあんた達の望んだ結果のはずだって俺は言っちゃうもんね。

 いたい、家族ってなんだよ。どうも勘違いしてる奴等が多くて困るよな。家族の本質と家族制度は違うなんて事を考えたこともないんだろう?この二つを混同している限り家族なんてものはどこにも見えてこないんだよ。今あちこちで取り沙汰されている「家族」というのは家族制度のことで、そんなもんなくっても家族は成立するんだよって事が完全に抜け落ちている。家族制度ってものが深く家族のなかに入り込んできたのはつい最近のことで、家族制度なんかなくても家族はちゃんと成立していたんだって事を忘れているんじゃないか?

 となっては家族制度で決められた枠のなかでしか家族をイメージできなくなっている。ものすごく極端な話、一夫一婦制なんていうのも制度が介入してきてかっちり決まったもので、一夫一婦制のみが正しい形だなんて中東だとかアフリカの一部の地域に行ったら言えなくなってしまう。制度なんてその程度のもんだろ?家族制度を先にして家族を型にはめていくと、家族ってものは生命を失っていく。戸籍謄本に父だとか母だとか嫡出子だとか書いてありゃあそれで家族ですかっての。見た目がいくら整っていても家族ってものは生命で、育てていく関係性で、そうであるからこそ、硬直した社会制度では解決できない各々の生きた問題を解決したり、保留したり、弾力をもって支えていくことができるんだって事を忘れちまったんじゃあ、そんなもんは家族の死体だな。

 タはあがっちゃったんで、産んでやったという既成事実にアグラをかいている母親とは決別しなさい。既成事実があってもそれで家族造りを怠けていい理由にはならないんだから。だいたい頭でっかちな母親が増えたおかげで、どこもかしこも女性週刊誌教育法の専門書に出て来るような家族になっている。あんたの家族は週刊誌だとか専門書のなかにはいないっての。各々の家族のなかに文化ってものが必要なんじゃないの?それはさ、自分の中に文化をもっていて、家族を構成するメンバーでその文化をぶつけ合って創っていくものなんだよ。

 の子達はアサハカだけど本能的に鋭いからさ、娘をやめちまった。彼女達の文化をぶつける相手は家庭のなかにいないから、さっさと社会のなかで自分の肉体をぶつけている。それに比べたら息子達というのは延々と息子でさ、母親のほうも息子をいつまでも自分の都合のいい恋人にしておきたいものだから、ちゃんとにしてやらない。これはもう息子に対する愛じゃなくて愛欲になっているんだよ。現代の母と息子の関係というのは近親相姦的だね、恋愛用のおもちゃだね。恋愛回路しかない女が母親にまでこうはびこっていると世紀末って感じだよ。こんな家族のなかにいたんじゃ自分の文化を構築できるわけがない。なぜかって言うと、まだ不安定な文化しか構築できていない若者にとって必要なのは、愛を基本にした結び付きだから。

 いうちはなんでもかんでも正しくやっていける訳じゃない。さまざまな失敗をすることになる。そういった失敗を元手にして自分の文化を構築していくわけだけど、これは非常に大きなリスクだ。男一匹放り出された社会のなかでは失敗は許されない。若いうちは失敗するとすぐに慌ててしまうけど、そういう時に文化基盤(愛とも言う)のしっかりした家庭に育っていれば、愛情というものが自分を立ち直らせてくれる。一つの失敗が自分の存在を否定するものではないという事を信じられる。厳しく辛辣な言葉を投げかけられても、それが愛情の深さから出てくるものだと気付くことができる。なのに、こういう大切な機能を現代の家族は失ってしまった。愛のない家族なんて学校の仲良しグループ以下だ。母親ちゃん達はさあ、恋愛のない家庭に文句言ってる場合じゃないんだぜ。

 分を守り、育ててくれないような家族からは出ていくしかない。自分は間違っていないと思うのに、辛い事ばかりで、頑張っているのにダメだってんなら、あきらめて構わない。捨てたって構わない。大事なことはそんなことじゃないんだからさ。さあ、家を出ていこう。誰かがつくった誰かにとっての都合のいい家を捨てていこう。そうして君は自分の家族を自分でつくればいいんだ。君の文化を本当にぶつけ合うことのできる相手は血縁のなかにいるとは限らない。血のつながりのない子供を愛情深く育てている継母は沢山いる。人は本能にプログラムされた愛情だけじゃなく、自分の意志で積み上げてきた愛情をもつことが出来るんだもの。人間は血縁を越えて人を愛することができる動物なんだ。だから様々な環境の変化にも適応して生き残ってきたんだぜ。

 一人荒野に立って、誰にも尻尾を振らず、とりあえず一人で生きてみることだ。尻尾を振らなくても手を取り合える仲間が出て来るだろう。誰かに尻尾を振ってもらわなくても平気な自分になれるだろう。一つ孤独に向き合って、自分の文化を創造して見よう。孤独に向き合う勇気もないのなら、一生母親のおっぱいに吸い付いていればいい。母親に手をもがれ、足をもがれてゆりかごに突っ込まれていればいい。

 親や父親の腑甲斐なさに腹を立てても仕方ないので、若さを育むことのできない怠惰な家族を捨てて、自分の家族を創造することを勧めることにした。このぐらい書いても物わかりのいい振りをしてサボる親達がほとんどだから、娘をやめた女の子達のさらに上を、一足飛びでやってのけるしか道はないんだけどな。家出をして男になろうって息子達はいるかぁ?失敗しても骨は拾ってやらないから、討ち死に覚悟でやれよ、そうすりゃあ馬鹿な遺伝子も減るだろう。怖いから嫌だって?ははあ、お前馬鹿な遺伝子だろう。


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