実感のない現実を拒絶する少女達


今回は:
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Kazuhiko Yasudaさんのやめたらあボタンをいただきまして書いております。ではどうぞ。

 つて女の時代と言われた時代があった。その女達はキャリアウーマンという男になることで元からの男に対抗した。女形が本物の女以上に女らしいのと同様に、キャリアウーマンは本物の男以上に勇ましく戦った。で、彼女達は自分達の手で女であることの美点を駆逐した。女の持つ可能性が男社会を変えるかも知れないというややこしい方法よりも、男になりきることで手っ取り早く得られる成功を選んだ。で、男社会の価値観のなかに組み込まれてしまったから、あいかわらず硬直した男社会は続く。これが結局少数派の女集団をつくってその他大勢の女とは断絶してしまったキャリアウーマン(死語)という現象だ。(現象はつまりブームだな)

 つてオバタリアンという言葉や台所感覚の台頭があった。消費税の導入で俄かに騒ぎだしたこの階層は、土井たか子という代表者を世に送りだしたが、そこで思考は停止した。結局消費税は引き上げられるし、国政に響かせなきゃならない台所の声なんてものがあるのかどうかさえ怪しくなってしまった。消費税が導入されるまでは3パーセントに恐れおののいていたのだが、一旦通ってしまうと現実のやり繰りの方に馴れてしまって、何をやっても無駄だという学習だけはしっかりしているもんだから、税率を引き上げられても今度は特別大きな騒ぎにもならない。国鉄の借金の肩代わりをさせられるなんて事には気づいてもいないんだろうが、ここらへんあたりで女というものが社会に影響を与え、男がちょっと浮足立つなんて流行は終わった。

 して、その次にやってきたのが少女売春ということになる。こうしてみるとスケールダウンしているってのが分かるな。社会という現実に向かっていこうとして男性化するしかなかったキャリアウーマン達とそういうキャリアウーマンを煙たがっているOL達は、双方の嫌悪合戦に疲れて気がついたら男性社会に取り込まれてしまったわけだし、台所から国政へと羽ばたこうとしたオバタリアンは消費税になれ親しんで沈没でしょう?で、そういう先輩達を見た女の子達が学んだのは世間にも社会にも出ていったって仕方がないということで、少女売春なんて流行をまた創っているわけだ。

 ういう状況を見ていると、女の子はこの世代に至ってついに世の中を拒絶するという行動に出たんだなという感じがする。社会に出ていっても男性化するしかなくて、家庭からの声は外の社会に反映されない。そういうものを刷り込まれてきたその上に、お金があればなんでもさせてもらえる女の子であるということは、最初から勘定にいれてもらえない存在だって言われているようなもんだ。お金があればなんでも出来るということは、世間さまの勘定には入っていない人間だって言われているようなもんだ。だって息子とかだったら、世間の勘定にいれてもらえるような金の使い方をするように言われるもんだぜフツーは。金がありさえすればなんでもできるというのは本当だ。大抵のことは金でカタがつく。しかし、金というものの使い方を知ることが社会に認められていくことだし、社会を変革する方法だったりするわけなのに、誰も金の使い方を教えないもんだから、こういうのをスポイルされている状態というんだ。スポイルされている子供なんだから、使い方を知らなければ金でなんだって出来るよね。

 がありゃあ文句ないんでしょっていうかたちで世間さまを蹴倒すしかないんだろうが、身近に金の使い方がうまい=生き方のマネジメントがうまい、魅力的な手本というのが居ないもんだから、たまに本とかでそういう本物に出会っても、

「一皮剥けばこいつも裏があってどうしようもない奴なんだ。」

という所に落ち着く。こうなったら現実を拒絶してペシミスティックな世界にいくしかない。そうすると早死にしたがる女の子なんてのが増えるのは理解できるし、刹那的に稼げる分は稼いどこうっていう売春に走るのもそういうことかなと思う。そうして拒絶する女の子はどうなって、どうしていったらいいんだろうってのがまあ、ここで書こうと思っていることなんだけど。ここまでが前書きだとするとここから先が長くなりそうなんだが、前書きより短い本文というものもあるので心配しないよーにだ。

 局私達は貧困なままだったってことだ。もしかしたら今まで以上に貧困なのかも知れない。無自覚なままの少年達や親達を尻目に少女達はそういう貧困に対してあがきはじめたんだな。ただ、誰にも分からないのは何に飢えていて、何が貧困なのかということだ。その貧困なるものの正体が分からないがゆえに、しまいにゃあオヤジ狩りなんて馬鹿なことをはじめる少年達まで出てくるわけだ。あ〜あ、せっかく出番がなくて目立たなかったから可もなく不可もなしだったのに、こういうところでマイナスから登場してくるあたりがいよいよ少年達も馬鹿だね。オヤジ狩り狩りなんていうのでも出てこないかなあ。話を戻して、貧困の正体を捉えようとしないで拒絶していくと果てはオウムみたいなものになっていくしかないんだけど。そういう貧困について考えるというのは被害者面して甘えるということをやめなければならないということになるので、積極的にやりたがる奴はいないだろう。そこらへんがすでに貧困なんだけどね。

 が貧困なのかっていう結論からいこうか、それはね、言葉の貧困。伝える言葉、投げかける言葉、投げかけられる言葉のなさに現れている。いまや友達同志でしゃべる言葉のほとんどは”ウケ”でしかない。決まったパターンのなかで決まった反応を見て安心するという、そういう働きが大部分を占めてしまった。”ウケ”る事を言う奴はメンバーシップをもっていて、そうでない奴は蚊帳の外という状態だから、必死で”ウケ”ようとする。そういうやり取りのなかで伝達する言葉は失われる。そんな奴つまんねーよで投げかける言葉は失速する。ウダウダ言ってんじゃねーよの一言で投げかけられる言葉は死滅する。馬鹿な母親が言葉の使い方をちゃんと教えてやらないから子供が友達同志で話し合うことが出来ない。学校での出来事を話たくってしょうがない子供に

「宿題は?試験は?塾は?」

って、そんなんだから

「金!メシ!ウルセエ!」

しか言ってもらえなくなるんだってことも考えろよな。そのぐらいコミュニケーションの能力は落ちているんだぜ。こういう言葉の伝達能力を高校生終っちまってからつけていくのってほとんど不可能なぐらいに大変なことなんだってこと、恵まれていた親達には分からないんだろうけど。

 手に話し掛けると、その相手から反応が返ってくるというただそれだけのことがどれだけ大切なことか分かっているだろうか?人間にとって一番耐え難いことは自分が起こしたアクションに対して何の反応も返ってこないということだ。それが批判であってもいい、喧嘩になったっていいが、耐えられないのは無視されることだ。無視されるということは

「お前なんか死んじまってもどうってことないよ。」

ということだ。自分の内面を言葉にするのはとっても難しいことだけど、そういう難しいことを避けて受験勉強なんかしたところで何の役に立つんだ?そういう奴が平気で汚染血液を垂れ流しにするんだ。子供の話に耳を傾けてみな、大事なてめえの子供相手に話を聞いてやる時間がねえとか言うなよ。俺ごときでも気に入った奴相手ならそいつが言葉を見つけるまで無言のままで1時間以上待ったことがあるぜ。その程度のことは出来るのが、友情とか愛情とかいうもんじゃねーの?

 は言葉じゃないなんて言うなよ、言葉で尽くしきれない愛は言葉を尽くして初めてわかるモンだろう?ラブレターを書いて破って書いて破ってそうしてやっと書いて、そうして初めて行間から溢れて来るんじゃないのか?怠けるなよ。話すほうも聞くほうも怠けるんじゃないよ。書くほうも読むほうも誤魔化すんじゃねーよ。反応がない手ごたえのない現実が、ビデオゲームヴァーチャル・リアリティに追い越されるぜ。ビデオやゲーム感覚の犯罪なんかが増えてきているのは、ビデオやゲームのせいじゃなくて、ビデオやゲームと大差のないこの下らない現実のせいなんじゃないのか?

 の子が売春をするのは彼女達にとって、これだけが手応えを得られるものだからだ。こんな部分でペシミスティックな現実と対話しているしか方法を知らないんだ。だから、30万円の小遣いをあげても彼女達は止まらない。お金の問題じゃないんだよ。生き方の問題を体を張って突きつけているんだ。別に彼女達を褒めるつもりはない。この程度の快感しか求められない、この程度の快感しか見つけられない貧しさを見つめ直せということだ。

 乏だって自覚しなくちゃいけない。貧乏なことは恥ずかしいことじゃないけれど、貧乏のままでいるということは恥ずかしいことだ。そして、貧乏の自覚がなくて貧乏な奴はもっと恥ずかしいんだ。手応えを探しに行きな、大丈夫だよ、反応を返してくれる奴はいる。自分でやってみな、怪我のひとつもするかも知れないけど、折れた骨は強くなるんだぜ。俺は気に入った仲間と気に入ったようにやっていく。出来るか出来ないかじゃなくて、やるかやらないかの問題だったって事は、俺の人生が証明してくれた。金で切り売りしなくてもいい男が金で切り売りしなくてもいい女の前には現れて、値段のつけようのない君を発掘してくれる。それを俺は信じているんじゃなくて、知っているから書いている。

 がこういう言葉を投げかけることで、反応は返ってくる。そういう反応のキャッチボールが生きてる実感ってやつなんだ。だから関係性という奴をめんどうなんだけど俺は捨てられない。怠けてなんていられない。あ〜あ、これからも厄介事は山ほど起こるんだろう。以上で少女売春は終りにしたいなってことで、おつかれさんでした。


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