幻の光

監督:是枝裕和

主演:江角マキコ

 んな映画らしい映画を見たのは何年ぶりだろうか。純文学作家、宮本輝の原作を映像化するというのはなかなか至難の業である。言葉の描写によって見えないものを伝達していく様に、映像でそれを行うことは容易ではない。百聞は一見にしかずとの言葉にある通り、映像というものははっきりと見せすぎてしまうきらいがある。目に見えているものがはっきりとしていればその分だけ思惑とは逆にその内側にあるものが見えなくなってしまうということもあるのだ。

 の作品がデビュー作となる是枝裕和は驚くべき事にここに光を撮るのではなく、影を撮る方法で答えを出した。処女作にしてこの感覚の鋭さ、並の才能ではない。技術的なことや自己満足に陥って光ばかりを追いかける者達とは逆に彼はここで影を撮るのである。撮影とは読んで時のごとし、影を撮る作業である、これは基本中の基本といってもいい。この素晴らしい作品をスクリーンでなくブラウン管で見ている自分の不運を嘆くばかりである。ブラウン管では影を再現することは非常に難しい。この影にはノイズが多すぎて、大切なものがぼやけてしまいそうで歯がゆい。

 角マキコの演技も素晴らしい。スクリーンやブラウン管の中では突然ドラマチックになってしまう役者達に辟易としていた私に、彼女の透明な存在感は日本人のスタンダードを思い起こさせる。日本全国が薄っぺらなドラマティックにのって大行進している今、この作品を退屈に思う人は多いかも知れないが、ここには何かがある。あんな下らない疑問にとりつかれて、たったそれだけのために追い詰められてしまうほど、人は脆かったり、そして、たった一言の他の人にはなんでもないような言葉が、人を支えることもある。うすっぺらなネアカブームやポジティブシンキングが意図的に隠したがる影に向かい合う意志をこの映像に感じるのだ。光に向かう自分の後ろには影がある。影の無い状態とは、光の照りつける中で、何者も存在しない状態をいうのである。

 々としたこの映画の中、散らばる光と影の中に自分の影を見つけることが出来るだろうか?


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