長距離長電話




 に友人から電話がかかってくる。日本からだったりする。嬉しいと思う。かなり長電話になってしまうたちなので、彼らにはちょっと無視できないような料金請求がいってしまう事も多い。ありがたいことだと思う。そういうことに以前は気がつかなかった。
 分の方から電話をかけることが出来なくなってからいろいろと気付かされることも多い。国際電話を止められる前は、自分の方からかける方だった。おかげで支払いに追われる毎日を送っているわけだけれど、あの頃、彼女には勿論あちこちにかけていた。結構まめなヤツだということになっていた。それはそれで別に問題はない。あの頃は単純に電話をかけて話をするということが嬉しいことだと思っていたし、今でも基本的にその考えは変わっていないと思う。ところが、こんな風にかけてもらう立場になってみてはじめて分かることがあった。それは、自分の中に潜んでいた「電話かけて欲しいなぁ」という想いだ。  しろ電話がかかってきたときの嬉しさといったら以前では考えられなかったぐらいのものだ。さらに面白いことに、かかってくる電話の本数は以前と大して変わらないんだなこれが。かけた分だけかけてもらえるというものではないっていうのは、まあ頭では分かっていたんだけれど、今の状態になってみてはじめて、心のどこかに ”かけてきて欲しくって電話をかけている自分”というのが居たんだと認めることが出来るようになってきた。今でもそいつは自分の中にいて、意味もなく電話をかけたくなったりする。で、そういうときに意味もなく用事もなくかけることの出来る相手というのは、なんかひょっこりとかけてくるヤツだ。
 古屋の友人から電話がかかってきた。途中でヤツの嫁さんにかわる。

「この人ったら電話する前にバーボンソーダつくってニヤニヤして『電話していい?』っていうのよ。」

 ろで笑いながらバーボンソーダを飲んでいるヤツの姿が目に浮かぶ。長電話になると悪いと思ったりもするのだが、どうやらこちらがゆっくり出来る時間を狙って電話をしてくれているらしい。共に酒を酌み交わすことが愉しいのだ。こいつの酒の肴になれるのなら自分というヤツもなかなか悪くないなと思ったりする。こんど日本に帰ってこいつと酒を酌み交わすのはいつになる事やら、「嫁さんもらったら連れて来いよ。」「日本縦断披露宴ツアーでも決行せんといかんな。」来年の春までには日本に帰ろうと思う。ロクに身動きのとれない貧乏生活でも、こういう事に気付く材料になることもある。うまくできてる。

Sunday, August 25, 1996


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