泣く男


 1年前のことだ。ブロンクスのフォーダム・ロードという所でバスを待っていた時のこと、南米の多分メキシコ系の背の小さな男が通りの向こうからやってきた。よろめきながら車をかわし、目には涙をいっぱいにためて、顔をしわくちゃにして、嗚咽で声をつまらせながら涙声で訴える。

「家族がグランドセントラル駅で待っている。妻も子供達も私を待っているのにそこに行くお金がない。それから家族を連れてニュージャージーまで帰らなくてはならないのにバス代もないんだ、お金を盗られてしまったのに警察はなにもしてくれない。たのむからお金を貸してくれ。」

「幾らいるんだ?」

「家族で帰る為には30ドル必要なんだ。」

私は呆れてこう言った。

「一年前に会ったときは10ドルだって言ってたよな。」

とたんに男は泣きやんで無表情になると、私の目をまっすぐ見据えて言った。

「Bye」

 びれる態度も決まり悪そうな顔もなく、そのまままっすぐ次の獲物へ一直線。すぐに白人女性の前で泣き始める。私は呆気にとられてしまった。

 ごい根性である。こんなに根性の入った役者は見たことがない。ニューヨークで演劇を勉強しているだけで天狗になっている、アホタレ日本人なんかメじゃない。泣き顔と無表情のあまりの落差に、怒る気も失せてしまった。その日は一日思い出し笑いですごしたのを覚えている。

 の泣き男、最近はマンハッタンの34丁目辺りに現われるらしい。つい最近友人が20ドル渡してしまったという。

「返すからって住所を渡されたんだけど…。」

「電話番号は?」

「電話はないんだって。」

「その住所、多分ないよ。」

泣き方といい、金を渡したとたんに泣きやむ変わり身の速さといい、間違いなくあの泣き男だ。まだ生き残っていたとはアッパレな奴である。

 「しかしここまで見事にやられると、あまり腹も立たないなあ。」

友人はそう言って笑った。まあ、騙されたというよりは、面白い芸を見せてもらった気分だということで、そうするとこれは…得だったのかもしれない。


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