この世にはいろんな扉を開いてくれる二つの鍵がある。それは「ありがとう」と「ごめんなさい」だ。基本的で誰もが知っている小さな言葉だが、この二つの鍵をちゃんと使えるって事がどんなに自分の世界を広げてくれるかって事を知っている人は意外と少ない。どんな世界でだってこの二つがいちばん多く使われていて、いちばん基本的なもので、いちばん奥の深いものだ。だからどの国の言葉を学ぶにしても、「ありがとう」にあたるものと「ごめんなさい」にあたるものはいちばん最初に押さえておくべきなんだが、文部省の教科書なんかじゃあこんな事には気づきもしないと見える。「そういう言葉から学ぶのがやっぱり他国の文化に触れるうえでの礼儀だろーが全く。」なんて思っているような官僚がいたら汚職がどうのこうのなんて事はもう少しすっきりするんだろ、近い将来こういう事に疑問を持っている若手の議員なり官僚なりがこういう風潮を変えようと蜂起するだろうと、勝手な予想をぶっこきやがっているうちに、またまた脱線してしまったよ〜だな〜元に戻して。
昔から、まともに「ありがとう」も「ごめんなさい」も言えないような奴というのは白い目で見られたものだが、こんなに行儀の悪いアメリカはニューヨークでさえ、中流以上の家庭ならほぼ100パーセントこういうしつけをやる。中流以下でも(家庭によって差が激しいが)思った以上にしつけには厳しかったりする。そういうわけだから、やっぱり「Thank you」とか「Sorry」とか「Excuse me」とか「Please」をちゃんと口に出せない奴は嫌われるのだ。
席をゆずってもらう、ドアを開けて待っていてくれる、レストランでウエイターやウエイトレスが飲み物や食べ物を持ってきてくれる。そういう行為一つ一つに「Thank you」と言うだけでそこから会話が生まれたり、笑顔が生まれたりして何かの展開があるのだ。まだ言うのが気恥ずかしいと思っている人は地下鉄の中で席をゆずってみればいい。「Thank you」と言われるのはなかなか気持ちいいぞ、そういう経験をすると「Thank you」と言ってみたくもなるではないか。
ガラの悪い言葉を覚えておもしろがるのもいいが、エレガントな言葉はどんな場所でも使えるということを忘れてはいけない。なにかしてもらいたいときには「Please」をつけるだけで丁寧語になってしまう。これはすばらしいぞ、そんなに英語が分からなくてもなかなか威厳のある応対ができてしまう。喫茶店に入って
「カプチーノ・プリーズ」
で、カプチーノが来たところで
「サンキュー」
と、スマイルすればこれで十分アルマーニが似合う男になれる。早口英語を発音もすばらしくまくしたてることのできる男がいても、こういう場面での基本的な応対がスマートにできなくてはいつまでたっても紳士服のコナカとか洋服の青山だ。
人にうっかりぶつかったとか、スーパーなどで人の前を横切るときなどは絶対に「Excuse me」と言う。これができない奴は未開の原住民だと思われてもしかたないぐらいのマナーだ。ついでに明らかにこちらが悪い場合、「I'm sorry」と心から詫びることも重要だ。ものの本には
「Sorryを使うと自分の非を認めることになって、つけ込まれるので使ってはいけない。」
などとものすごい脅しを利かせるものもあるようだが、そんなに気負うほどのものではない。自分が悪いときには自分の非を認めることがフェアなやり方だ。自分が悪くもないのに「ごめんなさい」を連発するのは良くないことだが、適切なときにも言わないというのはやりすぎだ。そんなことは別に英語でしゃべっていなくたって同じじゃないのさ日本語でも。ってーわけで、ちゃんと「ごめんなさい」を言おう。
と、だいたい今回の主張はここまでで出来上がりなんだが、余談。この間日本に帰ったときに喫茶店でウエイトレスのおねーちゃんが水を持ってきてくれた。で、ついついいつもの調子で
「サンキュー」
を言いそうになってから日本であることに気がついて、黙っていようと思ったんだけど、体はもう言葉を発する状態になっていて止められなかったのでとっさに
「ありがとう」
と言ってスマイルしてしまった。こりゃあ変な人と思われるかなと思ったんだが、無表情だったその娘の顔に笑顔が浮かんだのでとっても得した気分になった。無表情なときのその娘の顔はそんなでもないけれど、笑顔のあの娘はかわいかったぞ。それに比べて渋谷の駅で俺にぶつかってきたハゲのおっさん。「失礼」の一言もねーんだからむかつく。ぜんぜんかわいくねーぞ。濁った目をして去っていくおっさんの後ろ姿を見ながら、
「大人になるというのはこういう奴になることではないのだ。俺はちゃんとかっこいい大人になるのだ。ダンディなパパになって娘の同級生と不倫をするのだ。」
と娘もできないうちからいらぬ妄想を抱いたのである。ふと気がつくと、日本の方が粋じゃなくなってきている。日本でも人にぶつかったときに「失礼」とか、ウエイトレスに「ありがとう」なんて言うのはなかなか粋でいいことだと思うのだがどうだろうか?私に関して言えば、野郎どもには「カッコつけやがってケッ!」なんて言われたりもするが、女の子には存外ウケは良いようである。
二つの鍵、「ありがとう」と、「ごめんなさい」で、開かれる扉はいくつもある。その先にはもっと精巧で複雑な鍵の扉もあるのだろうが、この単純で簡単な鍵で開く扉を開けなくてはその先へは進めないのである。