自殺が勇気だって?


 こかの女の子が「自殺する勇気があるなんてすごい」と言った。どこがすごいのだろう?そんなことは簡単なのだ。自殺するほど思い詰めたヤツになら分かる。自殺というものは勇気なんかではない。落ち込んでいるクセに元気だけはあるヤツが自殺するのだ。元気のないヤツは自殺しない。自殺するには勇気などいらない。元気があればいい。本当に元気がなくなってしまうと自殺をする気力さえなくなってしまうものなのだ。
 の場合、それは何か惹かれるようにして線路に飛び込もうとするといったかたちで現れた。ショックで気が変になりそうになっていた頃のことだ。ある日、マンハッタンへ向かおうと近くの地下鉄の駅で列車を待っていたときだった。その頃いろいろと思い悩んでいた僕は、やっぱり色々と思い悩みながら列車を待っていた。思えばなかなか情けないいじけ方をしていたものだ。ここで自分がいなくなっても誰も気付かないかもしれないなんて当たり前のことを思ったりして、そのくせ、誰にも相談できずに勝手に悲しくなっていたりした。何かの打ち合わせに行く前の昼下がり、列車はずっと向こうから線路をきしませてプラットホームに走り込んできた。

 こから先の記憶がちょっと飛んでいる。気がつくと線路の方へと身を乗り出していく自分がいた。ハッとして身を引いたその鼻先を、列車がかすめていった。時間にして大体5秒間ぐらいだろうか、5秒の空白があれば、この場合十分に死ねる。

 れからはなんでもかんでも引き受けられる仕事は全部引き受けた。夜もほとんど寝ないで仕事と勉強に明け暮れた。(本当は仕事の方が多かったけど)とにかく締め切りだとか約束だとかをつくっておいて、それを果たさないうちは死ねないと思うようにしなければ、どこで死んでしまうか分からない。睡眠不足と栄養不良で身体はきつかったが、その方が余計なことで悩むエネルギーもなくなるので都合が良かった。悩むのには膨大なエネルギーが必要なのだ、何しろ出口の存在しない思考を延々と繰り返すことになるのだから……。

 ういうわけだから、自殺なんてものはなんの意味もない。つらいことは色々起こるけれど、したたかにしなやかになるしかない。いじめられて自殺するヤツが多いみたいだけれど、いじめられることに対して大変だなあと気の毒には思うが、自殺するヤツには同情の気持ちすら湧かない。僕自身小学生の頃にいじめられ、時にナイフで切りつけられたこともある(幸いランドセルが切れただけだった)。川に落とされたことも何度となく有った。自殺したいと思ってしまう7歳の小学校1年生がそこにいた。でも、なぜ死ななかったのだろう。死んだときに悲しむ人のことをその時思った。「僕はまだ死ねない。」そんなことを小学生の時に覚悟した僕には言ってもいいことだと思う。「自殺なんかするな」自殺をしたところでいじめた奴等は後悔なんかしない。壊れたおもちゃを買い換えるようにして、また誰かをいじめるだけだ。つらさから逃げるためだと言うのなら、それは卑怯だ。逃げるためのあらゆる手段を講じたのだろうか?自殺するぐらいならそいつらを殴りに行けばいい。返り討ちにあったっていいさ。何度でも行けばいい。死ぬのはいつだって出来る。返り討ちにあって殺されたのなら相手は殺人犯だ。でも、自殺なんてなんの得にもならない。自殺したヤツの事なんて世間はすぐに忘れてしまう。戦うしかない。強くなるしかない。自分が悲しいからって泣いてくれるかもしれない誰かを泣かすような結論を出すのはつまらない。泣いてくれるかどうか試すようなやり方も情けない。そんな情けないヤツはすぐに忘れられるだけだ。
 くなって下らない連中とは付き合わないで済むようになればいい。そのために戦っているんだよ。自分で選べないからつらいんだろう?じゃあ自分で選べるようになるために自分を強くして行くしかないんだよ。勇気ってそういうことだ。断言しよう。勇気というのはそういうことなのだ。
 ょっと今回は暗いな。でもメールくれた君、そこのピ〜ンときてる君だよ。分かった?そういうことだから、自殺を賛美するなよ。


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