待つ


 いていの待ち合わせには遅れることになっている私だ。自慢になるものではないし、褒められたものでもないが、それでも時には待つ立場になるということもある。今までの経験から、大体待たされる許容時間というのは30分ぐらい、後は10分きざみでぶつぶつ、そわそわ、それからいらいらになって、1時間を超えると心配して探しに行くか、帰って電話の前で待機ということになる。まあ、普通は待たされるというのはあまりうれしいことではない。ただ、1時間以上待っていても全く苦にならないこともある。それは待ち合わせもなく誰かを待っているときだ。

 に理由もなく誰かに会えるような気がして、本屋で立ち読みしていたり、通りの角にぼ〜っと立っていると、どういうわけかひょっこりと友人に会ったりする。偶然に会ったり、擦れ違う瞬間を待っている間は別にいらいらなどしない。どちらかといえば、わくわくと言う程大袈裟ではないけれど、期待感の方が強い。突然、あいつに会えるかもしれないなんて予感が湧いてきて、断わりもなく勝手に待っているわけだから、まあ、誰かに待たされているわけではないわけだ。文句を言う筋合いじゃない。

 分ではじめたことだから、やめるのだって自由だ。誰を待っていると公言しているわけでもないから、どこにも責任なんてものはない。待ち合わせの約束なら、おいそれと帰るわけにもいかないが、自分勝手に待っているだけだから、後15分したら帰ろうなんて感じで自分でコントロールできる。約束した事を一人で待つのはなかなか苦痛なんだけど、これならストレスになりようがない。

 たような行為に”待ち伏せ”というのもあるが、それとはちょっとちがう。待ち伏せだと絶対に会えるようにいろいろと作戦を考えたりして、自分に有利な場所や時間を選ぶ。
「たぶんあの娘の会社は5時に終わるから、5時半ごろにはここを通るだろう。」だとか、
「たしかこの間日曜日は調べものがあるとか言っていたから、あそこにいるだろう。」
とか考えるわけだ。そういう状況だと何だか会えなかったときに「失敗した〜。」なんて思ったりするわけだ、ばかばかしいんだけどね。失敗だのなんだのとしょうもない事を考えるところが待ち伏せ初心者のいやなところでね、上級者になってくると、待ちぼうけや空振りも楽しめるだけの余裕が出てくる。

 だからね、
「人を待つときはそういう心もちで待つといらいらせずにすむかもしれないよ。」
って、アドバイスしたいところなんだけど。いや、別に遅れたことはそりゃあ悪かったと思ってるんだし、前向きに対処しようって政治家の気分だけど。せっかくの待ち合わせなんだから怒ってる時間がもったいないよって、なにたべようか?


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