久しぶりに手紙が来たと思ったら


 なじみから手紙が来た。実に10か月ぶりの連絡である。彼氏と別れたという内容の手紙をもらったのが最後で、なにかカラ元気を振り回しているような文章だったから、ちょっとつらすぎる気分なんだろうと思って何度か電話をかけてみたんだけど、それっきりになっていた。こういうときは下手に慰めの言葉なんて掛けられたくないものだってことはよく分かる。信じて待つしかないってのは忍耐のいる行動だ。

 うして気に掛けていたらそいつからの手紙だ!よかった!遂に立ち直ったか!また以前のように話が出来たり、デートの真似事をしたり出来るのかも知れないと思って期待200パーセントで封を切った。

 待度と完成度は反比例するものだ。期待していないときに普通のミュージカルなんていうのを観ると、物凄く得した気分になるが、期待しているとそれと全くレベルのものを観ていても、裏切られたような気分になる。だから俺は滅多なことでは期待しない。人にも作品にも出来事にも基本的には期待しないのだ。

 つもなら2枚3枚とびっしり書き込んでくる奴なのに、便箋はたったの1枚きり。まあそういうものだろうと気にも止めずに読み進んでいって、真ん中あたりの一文で力が抜けた。

「ニュー・スキンを知っていますか?」

それがほとんど1年ぶりに友達に書いてくる内容か?俺の顔が札束になってしまったような気分だ。以前からの友人にものを売り付けるなんてのは俺には出来ない。俺が買ってくれと言わなくても、必要なものなら俺から買ってくれるだろうし、友人がなにかしていたら、なにかあったらそいつのところで買ってやろうと思うものだ。たった一行書くだけでいいじゃないか、

「今、ニュー・スキンやってて、やりがいのある仕事だから頑張ってます。」

って、それだけ書いてりゃ十分だよ。友達だったら協力してやりたいと思うのが当然なんだから、わざわざ、

「絶対興味を持ちそうだから。」

なんて書いて欲しくはなかったな。友達の領分を超えて、友達の持つ心理的な強制力だけでなにか買ってやったり、ましてやネットワーク・ビジネスとやらの仲間入りをする気はない。そんなことする余裕なんてないんだし。

 れでもとりあえず電話してみた。国際電話はいまだに止ったままなので、外の店でテレホンカードを買う。このカードは10ドルで日本に27分間通話ができるという優れものなのだが、それでもその10ドルが痛い年の暮れである。

 守電が応答した。聞き慣れていた声になにか裏がありそうな気分がして、受話器の向こうがちょっと遠かった。

「手紙が届いたので連絡しておきます。」

なんて素っ気ないメッセージ残してしまったあとで、

「引越したから受け取ってないんだよ。」

っていう手もあったなと、便箋に貼られたプリクラを見ながらぼんやりと考えていた。


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