出世払いで行こう

イトルが「正しいニューヨーク貧乏講座」になっているんだが、これは私のホームページのタイトルと同じだ。その上タイトルと内容の結び付きが皆無に等しい。ニューヨークで貧乏に暮らす方法とかの解説があるとか思った人はまさかいないと思うが、そういうのを期待している人には貧乏に暮らす秘訣なんてどこでも同じだと言っておかなくてはならない。

 まず第一に体力である。体力がなくては人間どうにもならない。これは貧乏でなくても同じことで、いくら金があったって体力がゼロだったら心臓も動かない。貧乏で飯が食えないからといって食欲を捨ててしまったらそこで全ては終る。体力を奪われてしまっては貧乏から脱出するチャンスをあたえられてもそれを活かせないのだから、体力だけはなんとかして保持しなければならない。何とかして食べなくてはならない。食べないことには始まらない。しかし、自分では食べることが出来ない。なにしろ金はない、銀行の残高も限りなくゼロに近い、冷蔵庫の中も空という状態で、残された道はと言えば「食べさせてもらう。」これしかない。


 よく言えば出世払いという奴だが、悪く言えばタカリとかヒモということになる。相手が嫌がっているのをむしり取るようなやり方をしていては、そのままタカリでしかないし、女の弱みにつけこんでいてはヒモということになる。なんとか出世払い扱いにしておきたいものである。なにしろ結果的には同じように食べさせてもらうことになるのに、タカリやヒモと断定されるとそのステータスからの脱出が非常に難しい。貧乏の気楽さに馴れて脱出する気がないのならそれでもいいが、貧乏なままでいるのは恥ずかしいというまともな人間であれば、やはり出世払い扱いにすることを考えなくてはならない。上に書いた内容から推測すると、弱みにつけこまず、嫌がる相手からむりやりとか、むしり取るようなまねをしないで、御飯を食べさせてもらわなくてはならないということになる。

 さ〜て、いきなり難しくなってきたぞ。しかし難しいだけにやりがいはある(ってなにが?)。一番まずいやり方はしつこくねだるという奴だ。自分の身に振り返って考えてみると、しつこくねちねちとやられるというのは嫌なものだ。若くて綺麗な女の子でも、こっちの財布の中身も考えずにねだり放題やるようなコだったら並のブス以下の扱いをしたくなる。そういうわけで私の女の好みはよく分からないと評判なのだが、姿形にアグラをかいた浪費ブスは私がもっとも嫌悪する存在なのだ。飛び抜けた美人じゃなくても、朝目が覚めたところで
「おはよう、朝御飯出来てるよ」
 なんて言って、エプロンなんかしているようなコなら、すぐにでもベッドに連れ戻してしまうに決まっている。
 大分脱線したな、とにかくしつこく思われるのは一番まずいってことだ。元々ケチな奴相手なら、いくらしつこくしたって時間の無駄だし、ケチじゃない人には煙たがられるようになるのでいいことなんてひとつもない。焦ってはいけない。ここはひとついい機会だと思って人間観察をしてみよう。
 貧乏になってみると回りの人間の反応が変わるのがよく分かる。特に男の子に対する世間の風は冷たい。以前色々とつきあいのあったデザイナーなんか、帰りの地下鉄代がなくて困っていると告げたら、地下鉄代の1ドル50セントのうち俺が持っていた16セントを差し引いてきっちり1ドル34セント渡してくれた。それも人間以下の存在を見る目つきではき捨てるように言ったのが。
「うるせーな、ほらよ、これで文句ねーだろ。」


 こいつとは金のあるときに何度か一緒に飯を食いに行ったことがあるが、絶対に割り勘で、しかも何とかしてチップの分を誤魔化して他人に多く払わせるような奴だった。この日を境にこいつとは口もきいていない。金の使い方のきたない奴は女にももてないものだし、そういう男と付き合っている男というのはやっぱり人望が薄い。人望の薄さが移らなくてよかったと思う。あの屈辱は忘れない。
 一方、金の使い方が気持いい人というのはやっぱりフツーの人とはワケが違う。そういう人が若い世代には少ないというのは当然とも思うが、若いころから多少なりともこういう特性がなくてはこのような人間性を身に付けることが出来るとは思えない。で、こういうタイプの人のほとんどがやはり組織のトップに近い位置の人達である。こういう方々に食事に誘って頂けるという機会には、いかに貧乏人のクセにくそ生意気なことを口走る私と言えども、それなりに気は遣うのである。
 まず、何を食べたいのか聞かれたりする場合があるが、あまり特定したような言い方は避けるべきだろう。それよりは、
「今日はあっさりめのものの方がおいしいような感じですね。」
 というように、相手のその日の好みもそれとなく聞くようにする。お気に入りの店に連れていってやろうかと算段している場合でも、こういった高貴な方達はそれとなく思い遣ってこちらの希望を聞いてくれたりするのだから、こちらもそれ相応の、しかし優柔不断ではない程度の奥ゆかしさをもって対応したいものだ。
 店に入ってからも貧乏人ゆえの本能と戦わなくてはならない。普段から貧乏人の特性が染み付いているので、メニューはついつい値段の安いほうから見てしまうのだが、こういったハレの舞台で、しかも男気を見せてくれているスポンサーに大して、あまりにチンケなものに金を出してもらうというのは、かえって相手を馬鹿にしているようなものだ。だからなんとか値段を見ないようにしてメニューの名前だけを見て決定するよう努力する。メニューを選ぶのにやたらと時間がかかるというのも興醒めなので、飲み物の銘柄といくつかのおつまみぐらいは定番のものを持っておく。
 と、まあこのぐらいの気遣いは当然である。イイ奴を演じているだけだなんて吠える馬鹿もいるだろうが、貧乏だからといって貧乏に甘えて、身ひとつで実行できる気遣いさえも放棄してしまうのは、貧乏ったらしい事この上ない。相手を不愉快にさせてまで馬鹿正直に貧乏を押しつけることはないのである。何よりも疎ましがられる奴というのは実は貧乏な奴ではない。それはビンボーったらしい奴なのだ。


 貧乏だからといって贅沢の心を忘れてはいけない。おいしい店のひとつやふたつは知っておくべきだ。そういう店で失笑を買わないぐらいのマナーは身に付けておくべきだ。おいしいものについての知識は持っておくべきだ。たとえば今の季節、何が旬かということは知っていると非常にポイントが高い。そういう奴と一緒に食べていると、なにか優雅な感じがするのである。なにかしら優雅な食事をしているような気持にもなれるのである。貧乏人と食べていて貧相な感じになってしまうのでは、二度と誘いたくなくなってしまうではないか。貧乏であればこそ、どこかに優雅さを持っておきたい。一点豪華主義でいいのである。日本酒の地酒の知識であるとか、ワインなら負けないとか、そういうことはちょっと努力すれば身に付くものだ。
 このぐらいやっておけば、繰り返し食事に誘われるぐらいには気にいられるかも知れない。どうかするとそこから巡り巡ってビジネスの話が始まるかも知れない。とにかく相手に不快感を与えず、自分が楽しむにはまず相手からといった気持で接する。結論に至ると当たり前のことにしかならないのだが、この当たり前のなかに含まれていることのほんの極く一部しかここには書けないというぐらい、当たり前に含まれている情報量は膨大だ。そういうことが分かっていれば出世払いの日々も近い。さあ、先輩たちのスネというスネを噛り尽くすがよい。そうしてしっかり出世するのだ。先輩たちのスネを噛って来たるべき時のために自分のスネを太くしておくのだ。その時が来たら、これはと思う若者に自分のスネを噛らせてやるのだ。出世払いとはそういうことを言うのである。

 実行モードに入ろうという勇気ある貧乏人たちにひとつ言い忘れたので付け加えておくが、くれぐれもケチ臭い貧乏クサイ度量のない奴を相手にしないように。出世払い扱いどころか、貧乏神扱いされてツキを落とすハメになる。貧乏は知力体力時の運であることを肝に命じて、よい人と付き合えるように環境を整備するように。金がないんだからそのぐらいのことはやりなさい。出来ないなんて言う頭の悪い奴は貧乏やめて疫病神にでもなるか?
 今月のまとめ。出世払いとは、将来スネを噛られる存在になることを、すすんで受け入れる者のみに与えられる大口融資と知るべし。あ〜あ、結局講座っぽくなっちまったぜ。この調子で来月も行くのかい?(って誰にき〜てんだおれは)


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